人気ブログランキング | 話題のタグを見る

あれから15年

兵庫県南部地震、所謂阪神・淡路大震災から今日で15年が経過したんですね。
当時私は高校2年。
1月17日午前5時46分、私はベッドで寝ていましたが、「ゴ~」という地鳴りで目が覚めました。
次の瞬間、猛烈な揺れが始まりました。
私は旧・神崎郡香寺町に住んでいますが、このときの揺れは震度4(当時の基準値)。
小学1年だった昭和59年の山崎断層地震も経験していましたから、「この程度の揺れなら大丈夫」と直感的に感じました。
台所にいた母が箪笥等につかまりながら「地震や地震や」と叫びながら私の部屋まできました。
「大丈夫や、火止め~!」と言ったことをよく覚えています。
本震はどのくらい続いたでしょうか、ようやく収まったのでテレビをつけました。
私はてっきり山崎断層が動いたものと思っていましたが、大阪から放送されている生放送番組を見るとかなり混乱していました。
時間が経つに連れ、神戸市内の状況が伝わり始めました。
震源に近い神戸では震度7(当時の基準値)、その揺れは想像すらできません。
横倒しになった高速道路、ぐにゃぐにゃに曲がった線路と横転した電車群、今にも高速道路から落下しそうな観光バス・・・。
まるで特撮映画のような空撮映像は忘れることができません。
震災前々日の15日、当時お付き合いしていた女性とポートアイランドに出かけた私、中継映像を見てゾッとしました。

あれから15年、地震に対する意識は高揚してきましたね。
地震国日本に住む以上、常に地震への備えをしておかなければいけないと改めて感じております。

また、1日も早く地震予知が可能になる日が来ることを願うばかりです。

僭越ではありますが、兵庫県南部地震で亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。

by 95219522 | 2010-01-17 19:38 | その他 | Trackback | Comments(2)
Commented by masamune889 at 2010-01-18 00:28
お久しぶりです。
当時私は4才でしたが、揺れで目が覚めた事を覚えています。
それとその日のAM10時ぐらいのサンテレビがテロップのみの放送で東灘区に避難勧告(ガスタンク破損?)と延々と流れ続けたのを見て、幼いながらも大変な事が起こっているなと感じていました。

今日は某医大で災害医療初期対応セミナーに救急隊役として参加しましたが、次々と運び込まれる傷病者と飛び交う罵声(演技です)にベテランの救急看護師・医師でさえパニック状態となっていました。こうしたセミナーなどを通して災害時の備えが必要だと私も感じました。
Commented by 95219522 at 2010-01-19 02:04
>masamune889さん
こんばんは。
神戸の方だけでなく、兵庫県下・近畿圏に住み、あの揺れを経験した者は、忘れることができませんね。
忘れてはいけないことなのかも知れません。
震災から得た教訓、多いですよね。
参加されたセミナーも“備え”の一つとして続けていただきたいと思います。
<< 「さらば地域色」の巻 「寺前辺りをウロウロと・・・」の巻 >>